ゴルフ界の球聖と呼ばれた男・ボビー・ジョーンズの映画を観た
全米オープン、全英オープン、全米アマ、全英アマと、同じ年(1930年)に全て優勝した唯一のグランドスラマー、ボビー・ジョーンズの映画をアマゾンで観ました。
ゴルフ好きの方なら誰もが知っているゴルフ界の神様的存在。私のようにゴルフに疎かったら、まったく知らないかも。でもゴルフを知らなくても観終わったあと、心にさーっと真っ白な、清らかな風が吹いて、ぐっすり眠れる、そんな映画です。一部の既得権をもつ人たちに途方も無いお金が動いてなんだかわからないところで動いている巨大スポーツビジネスにうんざりする昨今だからよけい。
生涯アマチュアを通したボビー、ただゴルフを愛しそして勝ちたい!しかし、大好きなことをしていて、才能に恵まれ、より大きなことに挑戦していく彼には、それが大好きなこととはいえ、大変なプレッシャーがかかり、体を蝕んでいました。また短気な性格で、プレイ中に、感情を爆発させることも競技を難しくさせていました。
面白かったのは、当時は、1vs1でプレイをするマッチプレイ。今は時間がかかるからやらないそうですが、1対1だと、心理戦も影響してくる。ちょっとした会話で相手にプレッシャーをかけたりしたそうです。映画の中でも、個性的な有名な歴代プレイヤーたちがでてきて、そのキャラクター、会話も楽しめます。
そして、当時のゴルフの格好もとってもおしゃれ!
深緑の靴下にこげ茶の革靴、あるときは真っ赤な靴下を合わせたり。いつもきちんとシャツをきて、きちんとネクタイをしめて。
観ているほうは楽しめるけれど、いくらスコットランドとはいえ、炎天下、ネクタイでプレイは、さぞかし大変だったことでしょう。
この映画に何度もでてくるゴルフの聖地、スコットランドのセント・アンドリュース。
後年、病気のために車椅子生活になったボビー・ジョーンズが「セントアンドリュースでの経験さえ残ればたのえ生涯で得た他の全てのものを失っても、私の生涯は本当に満たされていた」と語ったほど。
セントアンドリュース、いつかゴルフを愛する夫を連れていってプレイさせてあげたいなあ。いつか、ではなく、いつにしよう?にしなくては!願いはかなう。
#まいにちしあわせになる方法44 ・心穏やか、ぐっすり眠れる映画を観る!
外国人が我が家に遊びにきた2週間
知り合いの米国人家族が2週間ほど我が家に滞在しました。30代夫婦。11ヶ月の赤ちゃんを連れてNYから日本に遊びにきてくれました。
我が家はよくいえば、昨今流行りのミニマリスト的生活、悪く言えば、ものがない家なので、ふとん、食器、タオル、椅子‥‥、すべて足りない、と焦っていたのですが、なんとかなるものでした。
*ふとん→レンタルしたいところでしたが、2組、2週間ともなると、値段もかなりのもの。で、実家からベッドのマットレスだけ借りて、あとは家のものをなんとか組み合わせました。シーツはさすがに2枚ほどMUJIで購入。枕は、人から2つ借りました。
*食器→これは大量になんでもある実家から借りてきたので、問題なし。
*タオル→MUJIで新しいものを数枚購入。新しくしたいなあと思っていたので、ちょうどいい機会。
みんなで一緒に夫の故郷、島根県奥出雲へ。
飛行機から富士山
”島根があんなに美しいところだとは知らなかった”と、アメリカではほぼ無名に近い松江、奥出雲を喜んでくれました。
水の都、松江
奥出雲にいる夫のお兄さんや、お姉さんが、心温かく家で迎えてくれました。お姉さんは、手作りの干し柿や、おかずをたくさん並べて。
11ヶ月の赤ちゃんも、14時間のフライトという長旅、時差、環境の変化もなんのその。ほとんどいつもハッピーで、いつもにこにこ。もちろんはじめての海外。どこにいっても大きな瞳で興味深そうにじーっと人を見て、にこにこしています。誰も笑ってなんかいない静かな殺風景な都内の電車の中でも、となりにいる難しい顔の日本人のおじさんにもにこにこ。おじさんもおもわず笑顔に。
我が家は上に大家さんが住んでいる借家なのですが、孫がすでに大きくなった70代の大家さんは、わざわざ何回か赤ちゃんに会いに来てくれました。
ハッピーな赤ちゃんがみんなをハッピーにして、ハッピーな大人を見てますます赤ちゃんはハッピーに。つくづく子育てって1人ですることじゃないんだなと思いました。時代の変化があり、今の核家族の子育ての環境を考えます。
2週間、大変どうしよう!と思ったこともあったけれど、空港行きのバス乗り場でハグして、涙で見送り、がらーんとした家に帰ると、すごく寂しい気持ちになりました。
遠いところからわざわざ日本にきてくれる外国人に、滞在を楽しんでもらうのは、
本当に心温まること。この2週間で少し自身がついたので、いつかまた!
最後の夜、「島根、京都、河口湖、東京、いろいろなところに行ったけれど、どこが一番よかった?天気がよくて、絶景富士山が見えた河口湖?」と聞いたら、
「河口湖もよかったけれど、島根でみんなが温かく迎えてくれたのが一番よかった」といってくれました。日本の絶景、観光も素晴らしいと思うけど、心にいつまでも残るのは、きっと人なんだなと思ったのでした。
#まいにちしあわせになる方法43 ・違う国の人を家に招待する。
大好きな花・彼岸花
家の前に、一箇所だけ彼岸花が20本くらい密集して咲いているところがあり、はっと目を奪われます。この間、暗闇の中で、そこだけライトアップされていて、真っ暗な中に、燃える火のような彼岸花が浮かび上がって、幻想的。驚きました。なんてことはない、斜め前に、郵便屋さんのバイクが止まっていて、そのライトがたまたま彼岸花を照らしていたのでした。
でも一瞬、あの世にいくトンネルの中の風景のような気がしました。
「彼岸花を摘むと家に死人がでる」
「彼岸花の赤は、血を吸った色」
など、彼岸花はあまりよくない言い伝えがある花だけれど、普通の花のあっけらかんとした美しさとは違う影がある美が好きです。
#まいにちしあわせになる方法41・道の花を好きになる
澤田美喜が過ごした旧岩崎邸、湯島
エリザベスサンダースホームの創設者、澤田美喜さんの本、「GHQと戦った女」を読んで、彼女が結婚するまでを過ごした岩崎邸に行ってみたくなりました。
千代田線湯島から歩いて3分ほどのところにあります。
現在大規模な工事中で,足場が組まれていますが、2019年の12月には終わるようです。澤田さんのお父さんで、岩崎彌太郎の長男、岩崎久彌氏の本邸として明治29年(1896年)にジョサイア・コンドルの設計で完成しました。
ずいぶん昔に一度来たことがあったのですが、今回本を読んだあとは、ずいぶん感じるものが違いました。桁外れのお金のかかった豪邸ですが、和洋折衷でとても趣味がよく、すべてが最高品の本物の中で、生まれたときから生活するというのは、人間形成にずいぶん影響するのではないでしょうか。
またこの豪邸の生活なのに、岩崎家の子供達は、上から順にお古を着せられてとても質素に暮らしていたことが本に書かれてあったので、その家訓も改めてなかなかできることではないと思いました。
それなのに、敗戦後、GHQにこの家を接収され、昼間から我が物顔で女郎部屋のような秩序ない生活になってしまい、耐えきれず出ていった岩崎久彌氏。自分が幼いころ過ごした家がそんな風に踏みにじられたことは、澤田美喜さんにとっても大変屈辱であったことと思います。
代々築いて守ってきた莫大な富や財産も一夜にして無くなるという経験は、人生で捧げなければならないものは何かを自身に問わせたのではないでしょうか。
内部
金唐革氏という貴重な壁紙。その工程も丁寧に説明されていて気の遠くなるような作業です。
それが部屋いっぱいに。
家族が暮らしたのは和館。
現在は、周りには高層マンションが立ち並び、当時の1/3の規模だけが残ります。
往時は1万5000坪の敷地に、20棟の建物があったそう。想像がつきません!
本を読んで、その場所にいってみるのは本当に楽しい経験です。
中にカフェがありましたが、欲をいえば、どこかに本のコーナーを作って、「GHQと戦った女、澤田美喜」の本や、岩崎家の本や、当時の歴史の本を集めて置いてくれたら、もっと面白いのになあ。頼んでみようかな。まあそんな場所の余裕はなさそうでしたが。
修復が終わったら、またぜひ行きたいです。
また今年は修復が間に合いませんが、来年は紅葉のころに行ってみたくなりました。
まいにちしあわせに生きる方法#40 東京の歴史を散歩する
*********************************************
旧岩崎邸HP
様々なワークショップやイベントをやっているようです。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index035.html
グルテンフリー、卵なし、ふんわり米粉のみそ蒸しパン
甘しょっぱさがくせになるみそ蒸しパン
暑い毎日だけれど、米粉があるので、湯気をもうもう言わせて米粉の蒸しパンを作りました。卵、バター、小麦粉なしで、こんなにふんわりおいしくできるなんて米粉の蒸しパンはすごい。みその塩気がきび砂糖の甘さとちょうどよく合って、すぐできる飽きのこないおやつ。定番になりそうです。
*****************************
<作り方>写真の大きさ4個分
ボールに
豆乳か牛乳 100cc
きび砂糖 50g
みそ 小さじ2
を入れて混ぜそこに
+ 油(菜種油など何でも) 大さじ2
製菓用米粉 100g
重曹 小さじ1/4
白ごま 少々
を混ぜてごまを上にふり15分中強火で蒸す。
********************************************
小麦粉の蒸しパンは時間がたつと固くなりがちですが、
米粉は、けっこうしっとりしているんだと思いました。もっと米粉を活用したい!
#まいにちしあわせになる方法39・米粉のお菓子を作る!
鳥取・浦富海岸 鴨ケ磯海岸ロシア軍将校漂着記念日
浦富海岸の村人、ロシア兵を葬る
鳥取2日目にして最後の日。午後の飛行機で帰ることになっていたので、午前は浦富海岸を散策する時間が少しありました。入り組んだ変化に飛んだ海岸線、透明度の高い海。見ていて心が洗われます。
ロシア軍将校漂着記念碑があり、読んでみると、大変驚きでした。なんと1905年(明治38年)の日本海海戦のとき、村の魚師が、この海岸の沖合で戦死したロシア兵の水死体を発見、船で連れて帰ってきたそうです。敵ではあったけれど、「いったん仏になったからには丁重に葬り、供養するのがよかろう」と村人たちは思い、この2人のロシア兵の葬儀をし埋葬したとのこと。
戦後、ロシアと国交が回復した後、この2人の将校の親族と思われる人が来て、2人の遺骨を故国に持ち帰ったそうです。
この村人の話しを聞いた浦富出身の澤田美喜さんの夫、澤田廉造さんが当時の村人の愛を残そうとして、ここに碑を立てました。
日本海海戦なんて、教科書にでてくる話しのような気がしていましたが、ここにいまだに、その跡が残っていました。浦富海岸の遊歩道は、とてもきれいに整備されていて、それでいて海のすぐそばを濡れそうになりながら、歩けたりと、自然も楽しめて、いいコース。でもいかんせん、飛行機の時間が迫っていたので、この記念碑を見て、途中で車に引き返しました。いつか、もっとゆっくり歩いてみたいです。
海のそばに出たとき、どちらの道をいったら、この記念碑にいけるかわからず、困っていたとき、ちょうど、来た方角から、女性が2人歩いてやってきました。その方たちに「ロシア兵の記念碑に行きたいのだけれど、このまま行っていいのですか?」と聞くと、「私たちもそちらに行くから」とのこと。鳥取市内から、歩き来ている慣れた方たちでした。少しおしゃべりしたのも楽しかった。
時間があまりなかったので、そこで引き返そうとしていたときだったので、その人たちに会わなかったら、たどり着かなかったでしょう。
ふっと現れた2人だったので、なんだか故国から遠いこの浦富海岸の藻屑となってしまったロシア兵に導かれたような気がしました。
それから車を走らすことたったの30分。
あっという間に鳥取空港に到着。無事レンタカーも乗り捨てで返し、2泊3日の奥出雲と浦富海岸の旅は終わったのでした。
1冊の本、「GHQと戦った女、澤田美喜」を読んでわざわざ浦富海岸まで来て本当によかった。静かな山陰の海で心休まる時間をまた過ごしたいです。
#まいにちしあわせになる方法38・浦富海岸の自然歩道をあるく