羊のまいにちしあわせになる方法100

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鳥取・浦富海岸 鴨ケ磯海岸ロシア軍将校漂着記念日

浦富海岸の村人、ロシア兵を葬る

 

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鳥取2日目にして最後の日。午後の飛行機で帰ることになっていたので、午前は浦富海岸を散策する時間が少しありました。入り組んだ変化に飛んだ海岸線、透明度の高い海。見ていて心が洗われます。

 

ロシア軍将校漂着記念碑があり、読んでみると、大変驚きでした。なんと1905年(明治38年日本海海戦のとき、村の魚師が、この海岸の沖合で戦死したロシア兵の水死体を発見、船で連れて帰ってきたそうです。敵ではあったけれど、「いったん仏になったからには丁重に葬り、供養するのがよかろう」と村人たちは思い、この2人のロシア兵の葬儀をし埋葬したとのこと。

 

戦後、ロシアと国交が回復した後、この2人の将校の親族と思われる人が来て、2人の遺骨を故国に持ち帰ったそうです。

 

この村人の話しを聞いた浦富出身の澤田美喜さんの夫、澤田廉造さんが当時の村人の愛を残そうとして、ここに碑を立てました。

 

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日本海海戦なんて、教科書にでてくる話しのような気がしていましたが、ここにいまだに、その跡が残っていました。浦富海岸の遊歩道は、とてもきれいに整備されていて、それでいて海のすぐそばを濡れそうになりながら、歩けたりと、自然も楽しめて、いいコース。でもいかんせん、飛行機の時間が迫っていたので、この記念碑を見て、途中で車に引き返しました。いつか、もっとゆっくり歩いてみたいです。

 

海のそばに出たとき、どちらの道をいったら、この記念碑にいけるかわからず、困っていたとき、ちょうど、来た方角から、女性が2人歩いてやってきました。その方たちに「ロシア兵の記念碑に行きたいのだけれど、このまま行っていいのですか?」と聞くと、「私たちもそちらに行くから」とのこと。鳥取市内から、歩き来ている慣れた方たちでした。少しおしゃべりしたのも楽しかった。

 

時間があまりなかったので、そこで引き返そうとしていたときだったので、その人たちに会わなかったら、たどり着かなかったでしょう。

 

ふっと現れた2人だったので、なんだか故国から遠いこの浦富海岸の藻屑となってしまったロシア兵に導かれたような気がしました。

 

それから車を走らすことたったの30分。

あっという間に鳥取空港に到着。無事レンタカーも乗り捨てで返し、2泊3日の奥出雲と浦富海岸の旅は終わったのでした。

 

1冊の本、「GHQと戦った女、澤田美喜」を読んでわざわざ浦富海岸まで来て本当によかった。静かな山陰の海で心休まる時間をまた過ごしたいです。

 

#まいにちしあわせになる方法38・浦富海岸の自然歩道をあるく