羊のまいにちしあわせになる方法100

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奄美大島2泊3日の旅・5 奄美大島とキリスト教

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龍郷町の西郷さんの家のそばにあったカトリック教会

 

奄美大島キリスト教

 

西郷さんの家のそばを散歩していると、小さな古い教会がありました。

外観は、海風に晒されていて、表の掲示板も使われていないようでしたので、夫と「もう使われなくなったんだね」と話しつつ、夫が、扉に手をかけると、驚いたことに扉が開きました。中は、整然と整えられてこぎれいで、礼拝のお知らせもかかれており、今でも礼拝を守られている教会でした。

 

奄美に行って驚いたことは、あちこちで教会に出会ったことです。帰ってから調べてみたら、奄美大島、喜界島、加計呂麻島には、32ものカトリック教会があるそうです。

 

宿泊した名瀬のホテルのそばにも、大変立派な名瀬聖心教会がありました。夕飯を食べに行く途中、通りがかり、中に入ってお祈りしました。私と夫はプロテスタントの教会に行っているのですが、私たちの行っている教会は、人がいなければ、鍵がかかっています。でもカトリックの教会は、いつでも扉が開いていて、自由にお祈りできるのが、素晴らしいと思いました。何かを盗まれたり、壊されたりするかもしれない。でも、それもあるかもしれないけれど、誰でも入ってくる人を信じているんです、というメッセージのような気がしました。

 

2泊3日の旅でしたが、名瀬の教会でも、龍郷町のこの教会でも中に入って、静かな祈りのときを持ちました。

 

奄美カトリックが伝わったのは1891年(明治24年)。搾取や貧困に苦しめられ、救いを求めていた島の人に瞬く間に広まりました。しかし昭和に入り、戦争の色が濃くなると、カトリック排除が強まり、昭和9年には、すべての神父が島から引き上げ、島にいる信者への迫害も強まりました。昭和20年には、米軍の大空襲で、名瀬聖心教会の立派なレンガ御堂も焼けてしまいました。

 

昭和22年、戦後、アメリカの統治下となった奄美に戦後はじめて神父が来島。それから、診療所や、図書館、ハンセン病患者から生まれた子供を預かる施設などを建て、奄美の福祉の先駆けとなったそうです。

 

奄美の歴史と長い間、海風を受けた小さな教会に入って、祈りの時をもつのは、旅の楽しい時間だと思いました。

 

# まいにちしあわせになる方法19    祈りのときを持つ

 

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参考資料:名瀬聖心教会HP http://naze-mikokoro.com/node/8  

                  奄美大島 地球の歩き方JAPAN