奄美大島2泊3日の旅・4 西郷隆盛と愛加那さんの住んだ家へ
西郷隆盛と愛加那さんの家・
南洲流謫(なんしゅうるたく)跡へ
奥に見えるのが西郷さんと愛加那さんの家
龍郷町の静かな入江を右に見ながら車を走らせ、西郷隆盛と愛加那さんが暮らした家に行きました。私は行く前には、おおざっぱに調べ、行ってから、その場で資料を読んだり、持って帰ったりして、くわしく調べるのが好きです。その場に行って自分が受ける”感覚”が一番好きです。あまり調べすぎると調べたことを確かめに行く」みたいになって新鮮な気持ちになれないので。
さて西郷さんファンなら当たり前なのかもしれないのですが、西郷さんは、奄美に罪人として「島流し」にあったとずっと思っていましたが、違うのですね。僧侶月照と身投げしたあと、西郷さんだけ生き残りましたが、幕府に命をねらわれていたので、島津斉興の裁量により、幕府には、「死亡」と届け、「菊池源吾」と名を変え、奄美には「潜居」、つまり隠れ住んでいたそうです。だから、薩摩藩から当時のお給料=お米ももらえたそうです。
西郷さんは砂糖積船に乗って1858年に奄美にやってきました。
はじめは空家を借りて2ヶ月住み、それからこの土地の名門郷士、龍家の離れに引っ越しました。そこに2年8ヶ月住んだそうです。
それから、龍家の次男の娘だった愛加那さんと結婚。西郷さん33才、愛加那さん23才。
次の年、長男の菊次郎が生まれたのを機に、離れからこの新居に引っ越しました。薩摩藩からもらっていたお米で建てたそうで、自分で設計し、建てる場所も台風が当たらない場所を、西郷さん自身が、村中を歩き回って決めたそう。
現在、家では、愛加那さんの子孫の龍さんが、案内してくださいます。
見学の情報がうまく得られなかったので、龍郷町の役場に電話をして、西郷さんの家を見学するには、どうしたらいいか、を聞いたところ、龍さんのことを教えてくださり、見学できる時間をお聞きしました。(そのときは10:00から4:30とのことでした)
西郷さんゆかりの品を見ることができます。
でも一番感動したのは、柱です。この柱は西郷さんの当時のままだそうです。
西郷隆盛なんて、大河ドラマや教科書に出てくる歴史的人物、と思うだけだったのが、
あー、ここで、奥さんと話したり、村民と笑ったり、夕涼みしたり、ここに暮らしていた本当の人間だったんだ、と実感しました。
でもこの新居に引っ越した次の日、薩摩に帰るよう招集状が届き、結局ここに住んだのはたったの2ヶ月。そのとき、愛加那さんは2番目の娘を身ごもっていたのです。
長男菊次郎は9才で、娘の菊草は、14才で西郷さんの本家に引き取られたので、愛加那さんは、それから1人でひっそりと子の家に暮らしていたそうです。当時の島の妻の掟とはいえ、同じ女性として考えると、ずいぶん辛いことではないでしょうか。愛するだんなさんがいなくなり、亡くなったあと、せめて子供ともうしばらくは一緒にいたかったでしょう。
愛加那さんは、1902年(明治35年)8月、大雨の中畑仕事に行き、そこで倒れて亡くなったそうです。66才でした。
西郷さんの家は、今でも、静かな入江を少し入ったひっそりとした集落です。こんな静かなところに、愛する奥さんと子供と暮らしていたときだけは、一緒に身投げした月照さんのことや、京で起きている血なまぐさい争い、失ったたくさんの仲間の薩摩藩士のこと、外国におびやかされる日本の将来など、一瞬忘れたのはないでしょうか。
その場に行ってみると、きっとそうだったに違いないと思います。
それくらい穏やかなところでした。
(奄美の旅は続く)
#まいにちしあわせになる方法18
歴史上の人物が生きていた場所にいってその場で感じてみる
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西郷南洲流謫跡
鹿児島県大島郡龍郷町166
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奄美でいただいたフリーペーパー、”西郷どんが生きた道in 奄美大島”
西郷南洲謫居跡でいただいた資料を参考に書かせていただきました。
現地に行くと、ネットや関東では手に入らない資料がいろいろあって楽しいです。
奄美大島2泊3日の旅・3 早朝ゴルフと黒糖作り
2日目・奄美ゴルフで早朝ゴルフ、黒糖づくり
2日目はホテルニュー奄美から車で20分ほどのところにある奄美ゴルフで早朝ゴルフを予約していました。7時までに入ればハーフで3500円/1人(2人〜、カート付き)だそうです。どんより曇り空。ときおり雨がぱらつきましたが、なんとかできました。快晴だったら、プレイしながら、海が見えたことでしょう!;)
プレイが終わって、だあれもいない、大変広い2階の食堂でコーヒーを飲みました。コーヒーを運んでくれた奄美の気さくなお姉さんとおしゃべり。そのお姉さんもゴルフをするそうです。自衛隊の駐屯地が近くに建設予定で、若い女性は出会いがあるかもと、密かに喜んでいるそうです。なるほど。
手作りの黒糖作り
黒糖づくりを見たかったので、黒糖を作っているお店に寄りました。
原料となるさとうきび
圧縮機械で汁を採ります。
(汁を採った残り)
その汁をぐつぐつ煮ます。
大変な作業です。
地獄谷のようです
鍋で煮詰めます。
鍋に残ったできたてを味見させてもらいました。やさしい甘さで口の中でとろけます。
煮詰めたものをカットします。
隣の直売所で、数人の女性が大きな板状の黒糖をばんばんカットしていました。
夫が「1000円くらいください」というと、量り売りしてくれました。けっこうな量でした。関東のスーパーで黒糖を買うと高いですが、あの工程を見て心より納得です。
お店の人をちょっとおしゃべりして和みます。
車の中で出来立ての黒糖をつまみながら、西郷さんの家を目指しました。
(つづく)
#まいにちしあわせになる方法 17・なにかができる工程を自分の目で見に行く
奄美大島2泊3日の旅・2 奄美の郷土料理と島唄
奄美大島旅行の続きです。
着いたその夜は、島唄が聞ける郷土料理のお店「かずみ」さんに行くことにしていました。ホテルから歩いて10分ほど。扉を開けると、10席ほどの座敷と3、4人のカウンター席の小さなお店にすでにお客さんが。予約していなかったのですが、運良く座れました。お料理は、おまかせ3000円コースのみです。
お刺身
お醤油が甘い!と驚きました。甘くてコクがある。九州地方のお醤油は甘味料が加えられていて南に行けば行くほど甘くなるそうです。新鮮なお刺身にからみました。
トビンニャ
巻貝。塩茹でにしたものを楊枝でつついて食べます。奄美の方言でニャは貝という意味だそうです。トビンは、飛ぶ、つまり飛ぶ貝です。小さいのでどんどんいけます。
あおさの天ぷら
真ん中は奄美つきあげ。さつまあげのようなものですが、奄美つきあげの特徴は、魚のすりみを蒸さないで、そのまま揚げるんだそうです。右はさといもなんですが、げんこつ大くらいあり、しかもねっとりほくほく。関東のさといもと全然違いました。
そてつの実を醗酵させたナリ味噌と、島のざらめで和えたゴーヤ。もろみ味噌のようです。そてつの実の味噌なんて、驚いたので、帰るとき買いました。かつおぶしも入っていて、お酒のつまみにぴったり。
ハンダマのおひたし
左のわかめのようなものは、”ハンダマ”という葉野菜だそうです。表は緑で裏は紫。鉄分、ポリフェノールが多く栄養価が高い野菜。さっぱりしてて、毎日でも食べたいヘルシーな味。いつか種が手に入ったら、うちの畑でも栽培してみたい。
豚の足の茹でたもの
食べたことがないものが多く一品一品興味深くいただきました。お料理が運ばれているうちに、島唄のおじさんが登場して、島唄を歌ってくれました。曲の合間に披露してくれる、きみまろ的だじゃれがうけます。
奄美の島唄は集落ごとに歌い継がれてきたそうです。今回旅して感じたのは、それぞれの集落が山を挟んで存在しているので、今でこそトンネルを通れば別の集落ですが、昔は、行き来が困難であっただろうなということ。そのためもあり、奄美は、その集落ごとに特徴のある文化が残っているそうです。
島唄は男性と女性が即興で掛け合いを楽しんで気持ちを伝えあう伝統の歌。
店でも、さんしんのおじさんと、店の店主、かずみさんが、料理しながら奥の調理場から、唄ってくれて、その掛け合いを楽しみました。
そして、チジンという島太鼓をお客さんみんなが順番に叩いて、それに合わせておじさんが島唄を唄ってくれます。最後は、盛り上がる「六調(りくちょう)」の曲に合わせて、みんな見よう見まねで踊りました。
夫はチップ社会の米国に長く住んでいたので、さっそくにこにことおじさんにチップを渡すと、他のお客さんもどんどんチップを。おじさんもすっかりにこにこ顔になり、またまた唄ってくれたのでした。こんなに楽しませてくれてありがとうございます!
楽しい奄美の夜でした。
たまたま座れたのですが、席数も少ないので、行く時は、予約したほうがいいと思います。
#毎日しあわせになる方法 旅にでたらはじめてのものを食べてみる!
明日は早朝ゴルフ(つづく)
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郷土料理かずみ
住所:奄美市名瀬末広町15-16
電話番号:0997-52-5414
営業時間:17:00-23:00
定休日:不定休
駐車場:なし
奄美大島2泊3日の旅・1 はじめての奄美旅行
奄美大島に初めて行ってみました。
西郷隆盛と愛加那さんが住んでいた家を見たかったので。
計画を立てているときに、ネイティブシーという180度海が海が見渡せるホテルにこだわっていたため、予算がどうもオーバー;)
うんうん唸っているときに、夫の「寝るだけだからどこだっていいよ」の一言で、
「それもそうだ、目的は西郷さんの家を見に行くんだし」と思い直して、バニラエアーを使って、名瀬(奄美島の繁華街)のビジネスホテル、ホテルニュー奄美2泊3日しました。2月の終わりに出発したのもあり、航空運賃とホテル朝食なし1人19800円というありがたい価格でした。
ただ、バニラエアーは、成田発1:15→奄美4:15着
かえりは奄美発12:10 →成田着14:15
つまり移動に2日取られるので、島を見られるのは、中1日の時間になるのですが、また「今回は西郷さんの家を見に行くのが目的だから!」ということで、よし。ちなみに、夫は観光に興味がないので、奄美ゴルフの早朝ゴルフを申し込んで腰をあげてもらいました。
LCCは初めてで、第3ターミナルも初めてでした。「遠い、遠い」とよくネットに書いてあるので、どれだけ遠いの!?と覚悟していきましたが、そこまででもないような?
でも、荷物が重たかったら、遠く感じるのかもしれません。
IKEAを思わせる第3ターミナルから出発して、3時間。
3人座席で、夫と私と、奄美大島出身で、里帰りする女性と隣になり、奄美の美味しい食べ物の話や、身の上話をしているうちに、あっという間に3時間経ってしまいました。
奄美空港は、小さいけれど、小綺麗な空港。最近改装したそうです。
旅行前に、奄美の天気予報とずっとにらめっこしていたけれど、どうも雨が多く、着いたときもどんより曇り。翌日も雨の予報でしたが、今は降ってないだけよしとしましょう。
空港の近くの奄美レンタカーで、レンタカーを予約していたので、荷物をがらがら引きながら歩いてレンタカーやさんに行きました。レンタカーやさんの送迎車も空港まで循環していましたが、歩いてもすぐです。
ネットで軽自動車(車種忘れた)をレンタカーしていたので、ゴルフバックを後部座席に積んで、いざ出発。ここから、ホテルのある名瀬までは、小1時間です。レンタカーしない場合は、空港から、バスがでています。
ホテルニュー奄美に宿泊した場合、奄美レンタカーは割引がききます。
今回の旅の会計は、最後にまとめて書きます!
奄美の道路は1本で運転しやすい道路。ただしトンネル多しです。ときおり左に、曇っているけれど広々の海が見えていました。ゆっくり運転して、1時間くらいで、名瀬の街に到着。ホテルに車を入れて、部屋でちょっと休憩。予約を入れたとき、「部屋は狭いです、ご了承ください」と書いてあったのですが、たしかに2人だと狭い。でもビジネスホテルはこんなものかなという感じで問題なしです。
一休みしたあとは、近くの郷土料理の食べられる「かずみ」というお店にいく予定です。(つづく)
# 毎日しあわせになる方法15 旅を実行する!
病気の人にできること、できないこと
知り合いが、重い病気になり、でも誰にも会いたくないそう。
元気なときでも、人と会うのはエネルギーがいるものだから、
きっと肉体的、精神的に大変な負担なんだろうと想像します。
そんなとき、その人のために祈る以外何ができるのだろう、と思います。
負担にならないように、でも、思っている人もいることを
伝えたくて、夫とカードを送りました。
それぐらいしか思いつかないけれど、
小さなできることでした。
はじめてのミャンマー料理・高田馬場
高田馬場に行く用事があったので、
ずっと行きたかったミャンマー料理のお店に行きました。
ルビーというお店です。
オーナーのチョウチョウソーさんは、
国内にいることが困難になり、タイを経由して、
1991年に来日した方です。7年後、やっと難民申請の許可がおりたそうです。
その後、様々な仕事を苦労しながらなさって
2002年に
このレストランをオープンしたそうです。
私が入ったとき、お客さんは、全員ミャンマー人でした。
ランチはビュッフェで、ミャンマー料理が
並んでいるので、好きなものをとっていいのです。
はじめてのミャンマー料理だったので、
まずはちょっとずつとってみました。
この取り方は、きっと日本人的かもしれません(笑)
他のお客さんは、ごはんもみんなワンプレートに盛っていたから。
鶏肉とジャガイモの煮込み、
豆(たぶんキドニービーンズ)と玉ねぎのサラダ、
卵焼き、
焼うどん風のもの、
そーめんのはいったスープ
など、名前はわからなかったのですが、
どれもみな野菜中心のヘルシーな料理です。
辛さは、ちょっと辛いくらいで、
ごはんがちょうどいい具合に進みました。
ひととおり食べたあと、おかわりに行きました!
デザートは、タピオカとさつまいものココナツミルク。
ほどよい甘さで、大満足でした。
コーヒーもついて、1080円。
面白かったのは、レストランの人と思われる人も、
一緒に客席に座って、みんなでくつろいでいて、
こういうゆるさが、いいなと思いました。
はじめて食べたミャンマー料理は、
おばあちゃんを思い出しました。
最後に食べた、さつまいものせいかな?
はじめてなのに懐かしい気持ちになりました。
そこにいたミャンマーの人にとっても
きっと自分のお母さんやおばあちゃあんの味を思い出す、
懐かしい味に違いないと思いました。
オーナーの方や、そのご家族のように、
様々な事情で今、日本で生きていくことになっている人を応援したいです。
おいしく食べることでそうなれるのならなおさら!
#まいにちしあわせになる方法14
日本で暮らす他国の人を自分から出て行って知る
■ルビー(RUBY)
東京都豊島区高田3-8-5 セントラルワセダ1F
TEL:03-6907-3944
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日本におけるミャンマーの難民の方の人生、
そして、今のミャンマーの人の状況など、
この記事をどうぞ。
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