新緑いっぱい山登り・弘法山
秦野にある弘法山というところにハイキングに行きました。
山登りは小学校5年の時行った箱根の金時山以来!
当時は、真夏で暑かったにもかかわらず、「水を飲んだら疲労するので水分は控える」というとんでもない常識だったので、水分補給させてもらえず、喉乾いた、疲れた、と山登り=辛いという思い出しか残りませんでした。
しかし、あれからうん十年!今年はなんでもやってみると決めているので参加してみました。
今回は、山登りのエキスパートの人がいたし、日本語ボランティアの人たちと、そのクラスに参加されてる外国人の方とわいわい楽しい登山だったので、辛い山登りのトラウマは、あっという間に払拭され、すっかりはまりました。
しかも自分が住む小田急線のこんな近くに、こんな素晴らしいハイキングコースがあったなんて。
「弘法山に行くんだ」というと、かなりの人から「行ったことある」「なんども登ったことある」と言われました。とっても人気の場所だったんですね、山登りに興味がなかったので、まったく知らなかった。
エキスパートの方によると、春は桜、初夏には新緑いっぱい、秋は紅葉、真冬は、空気が澄んでいて富士山や海がくっきり見えるそうです。帰りは温泉にも入れていうことなしの初心者向け山登り。
エキスパートの人が、今度は秋にまた企画してくれるそうです。
楽しみです。
# まいにちしあわせになる方法 27 自然いっぱいのハイキングにでかける!
弘法山のハイキングについてくわしく書かれています↓
https://tabicoffret.com/article/76023/index.html
大磯3・エリザベスサンダースホーム創始者、沢田美喜記念館
大磯の旅の続きです。
今回の旅の目的はエリザベスサンダースホームを作られた沢田美喜さんの記念館を訪れること。エリザベスサンダースホームは戦後、米兵と日本人女性の間に生まれ捨てられたり育てられなかったりした混血孤児のための児童養護施設、とだけ知っていました。
しかし、澤田さんが岩崎財閥の創始者、岩崎弥太郎氏の孫で、ここが岩崎家の別邸であったこと、その後財閥解体で接収された別邸を、エリザベスサンダーズホームのために澤田さんが財産を投げ打って買い戻したこと(それだけでは足りなかったのですが)など全く知りませんでした。
大磯の駅前すぐ、緑の中にある階段をのぼりると小高い丘の上にノアの箱舟をイメージして作られらた沢田美喜記念館があります。親切な館長さんが、クリスチャンであった澤田さんが集めた隠れキリシタンのコレクションの説明をしてくれました。
一番印象に残ったのは、一見すると、大きめの普通の手鏡でなのですが、鏡を使って壁に光を反射させると、そこに聖母マリアやイエス様の姿が浮かび上がるというものでした。こんな凝った細工をして見つからないようにしていたのかと驚きました。
たくさんの人が踏んだであろう、すり減った踏み絵もあり、どんな思いでその板を踏んだのかと思うと、そこにある踏み絵から出てくるたくさんの人の思いを感じて、その日の夜、思い出して眠れませんでした。
2階は礼拝堂になっており、階段のステンドグラスが美しかったです。
館長さんがすすめてくれた文庫本「GHQと戦った女 沢田美喜」(青木冨貴子)を買って、お礼を行って記念館を出ました。さっそく帰りの電車からその本を読み始めたみつおさんは、本があまりにも面白くて夢中になりすぎて、せっかく駅前で買った大量の大磯の釜揚げしらすとオレンジを、電車を乗り換えした時、藤沢駅のベンチに置き忘れてしまったのでした。
しらすが諦めきれない私はかなりしつこく小田急に問い合わせたものの出てこず。
誰かの夕飯のおかずなったのかなあ。
澤田さんの人生は想像していた聖女的な女性像とは全く違って、記念館に行ったあと本を読むと、その人生のエネルギーのかけらをいまだに感じることができてとてもよかったです。
#まいにち幸せになる方法26
自分の使命を生きた女性の人生を知る
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沢田美喜記念館・大磯町ホームページ
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/look/meisyo/sawadamikikinenkan.html
沢田美喜記念館公式ホームページ
https://www.sawadamiki-kinenkan.com/
大磯2 ・新島襄 終焉の地
大磯の旅の続きです。
大磯が新島襄が最後を迎えた場所だと知りませんでした。今は、彼が最後を迎えた宿跡には石碑と案内所が残されています。
新島襄と言えば、同志社大学の創立者、あるいは新島八重の夫、という印象が強いのですが、本当に命がけで自分のこころざしを果たすべく生きた人だったんですね。
神田生まれの新島襄は、22歳で当時、国際都市だった函館まで行き、そこから小舟に乗って、アメリカの商船に乗り、上海へ。そこで別のアメリカの船に乗り換えて、香港、マニラ、ケープタウン、そして、ボストンへ。
当時はもちろん日本人が海外に出国することは死罪。命をかけてまで国を出て見たいこと、知りたいことがあった。
米国で日本人としてはじめで学士号を取得、その後は、キリスト教の宣教師として日本に帰るため、神学校でも学び、帰国後同志社大学の全身同志社英学校を開校。
倒れたのはその英学校から、大学設立のために奔走している最中。
病に倒れた新島襄は、以前から大磯に行きたかったことと、友人の勧めもあり、大磯で療養することにしたそうです。この石碑の場所には、百足屋(むかでや)という旅館があり、その旅館の別館、愛松園で静養していたそうです。
1889年(明治22年)11月に病に倒れ、翌月12月28日大磯に到着、年が明けて、1月20日に危篤となり、新島八重も東海道線でかけつけ、3日後の1月23日に46歳と11ヶ月の短い生涯を閉じたというから、つまり、大磯で最後の1ヶ月を過ごしたことになります。
過労がたたったのだろうけれど。
命がけで日本を出て、命がけで大学設立に奔走し、時間で計れる人生は短く終わってしまった。でも結局、今でもそこでたくさんの人が学び、残したものを考えると、時間を超えた「永遠の命」というのはあるんだなと、この石碑の前で思ったのでした。そして、自分の行きたかった海の近くで、愛する人に見守られて天に召されるなんて、幸せな最後ではないか。
人生は長さではないなあと太陽いっぱいの海風の中で思ったのでした。
# 毎日しあわせになる方法25 ・永遠の命について考えてみる
こゆるぎの浜・大磯へ
建築家、中村好文さんの本を読んでいたら、大磯のこゆらぎの浜のことが書かれていました。大磯といえば大昔に遊びに行った大磯ロングビーチというイメージしかなかったのですが、本を読んですっかり行ってみたくなりました。今の季節、さざれ石が敷き詰められた浜辺はひっそり静か、遠くに富士山も霞んでみえ、太陽の日差しがいっぱい。とてもいいところでした。その上、うちから1時間半かからず。昔はずいぶん遠くに来たような気がしていましたが。
大磯は、明治以降は吉田茂、伊藤博文はじめ多くの宰相の別荘地もあり、西郷隆盛の実弟、西郷従道の家もあったそう。脇道に入ると、広大な敷地に廃墟となった洋館があり、少し物悲しい気持ちにもなります。伊藤博文の邸宅も西武プリンスが撤退してからは売りに出されたまま。新しい住宅と古い住宅が混じり合った小さな古い海の町。
今回の目的は、戦後、米兵と日本人女性の間に生まれた混血孤児のための養護施設、エリザベスサンダースホームを作った沢田美喜さんの記念館と、同志社大学の設立者、新島襄の終焉の地に行きたかったので、こゆらぎの浜を歩いたあと、まずは、新島襄終焉の地に向かいました。(つづく)
#まいにちしあわせになる方法24
本の中にでてきた場所に行ってみる!
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大磯への行き方
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/access.html
PHPスペシャル「いい言葉が幸せを呼ぶ」
本屋さんをぷらぷらしていたら、この絵が目に入り、しかも今ちょうど考えている
「自分の使う言葉」に関することが書かれていたので、買ってみました。
PHPの本はなんとなくレジ脇などで見かけたことがあったのだけれど、きちんと読んだことはなくて、無知な私は、ずっとどこかの宗教団体が発行している高齢者向けの小雑誌、かと思っていました!
とんだ勘違いで、出版元のPHP研究所というのは、かの松下幸之助氏によって、創立されたものだったのですね。
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PHP研究所は松下幸之助によって1946年に創立されました。PHPとは"PEACE and HAPPINESS through PROSOERITY ”の頭文字で、”物心両面の調和ある豊かさによって平和と幸福をもたらそう”という意味です。お互い身も心も浴衣になって、平和で幸福な生活を送る方策を、人間の本質に照らしつつ、それぞれの知恵と体験を通して提案しかんがえあいたい。そんな願いのもとに月刊誌「PHP」と『PHPスペシャル」を発行しています。
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お昼ご飯を食べたあと、軽い気持ちで読みました。さらっと読めるのですが、わかりやすく、今自分が突き当たっている問題にちょうどあっていることが多かったです。
私も自戒しなくてはいけないのですが、まわりであまりにも他人軸で生きている人に接し、他人にどうみられるか、他人を辛辣な目で見ている噂話を聞くことが多かったので、辟易していたこの頃。目次の「人の目を気にせずラクに生きるために」「自分を責めるその前に。あなたが弱いせいじゃない」「自分にエールを!やめる勇気」をむさぼり読んでしまいました。そして和田裕美さんの破天荒でとても人間的なお母様のことを書いたエッセイもとても面白かったです。
この本からすぐ行動にうつしてみようと思ったことは
#批判を想定しておく (批判してくる人を説得するより夢を叶えることが当たり前という価値観を持っている人たちと積極的にあってアドバスしてもらう)
#誰にたいしても対等に接する (日本はどうしても年功序列、職場では古い人で偉そうにしてくる人がいるけど、自分は誰にたいしても、対等に敬意ある態度で。態度を角に変えると無駄なストレス。シンプルな人間関係を。)
#夢を持って生活する、100個書き出す (その中の簡単なことでも実行すると脳が自分は簡単に夢を叶えられる人間だと認識して、夢を実現しやすくなる)
そして、私が一番反省したところはここです!!
#モヤモヤを人に吐き出さない
甘えもあってつい夫に人間関係の愚痴を夜話しているので大反省しました。「ほんとうに問題解決を望むなら、同じ気持ちにならないようにするにはどうしたらいいだろう?とまずは自分で考え、解決を試みてみましょう」確かに。自分の感情には、まず自分でおりあいをつけ、次の行動へのフィードバックをするくせをつけないと。それから、ちょっと話を聞いてもらうのはいいのかなと思ったりしました!(←自分に甘い;)できたらユーモアを入れられたらいいのですが。
ともかく、たったの420円で充実した内容で、日常ですぐ行動できることがたくさん書いてあったり、何度も読み返したいと思いました。そして、悩んでる友人がいるので、ぜひ送ってあげようと思いました。海外に住んでいるけどとっても軽い本だし、母国語の本はストレートに心に響くし。
でも考えてみたら、もともと、どうしてこの本を手にとったかというと、「表紙が深緑で大好きな色で、猫の絵が可愛くて、深緑とくすんだ桃色の花の組あわせがとてもよかったから」
そして、どうして普通のPHPを手にとってみなかったかというと、「表紙がなんとなく好みじゃなかったから」だと思い当たりました。
直感?にしたがって手にとってみてよかったです。
#まいにちしあわせになる方法 23
直感で、いいな、と思った本を買ってみる
はじめての動画アプリとYou Tube投稿
映画が好きなので、ずっと動画を編集してみたいな、と思っていたのですが、はじめてどうがアプリを使って作ってみました。試したのは
Quik
Magisto
Video Showです。
(今回のはVideo Showです)
どれも初心者でもすぐできてわかりやすい。しかもいろいろなスタイルを選べるので、それを試しているだけで、どっと時間が経ってしまいました。でも自分が使うスタイルは、決まってきそうなので、慣れていけば、すぐお気に入りのスタイルを選べそうです。
BGMもいろいろあるのですが、これまた迷って決めるのが難しい。BGMって難しいものなのですね。
今年はまずはやってみる!というのが目標なので、まあよしとします。とっても面白かったので、もっと研究したいと思います!
#まいにちしあわせになる方法 22
動画アプリを使ってYou Tubeに投稿してみる
奄美大島2泊3日の旅・7 旅の家計簿
奄美大島旅行でかかったお金
家用に奄美のそてつ味噌を買いました。
旅から帰ってくると、だいたいいくらかかったのかなあとまとめておきます。
私が好きな旅は、”そこにいって自分で感じる!”というのがメインなので、買い物三昧みたいな贅沢なバカンスとは程遠いのですが、だいたいいくらかかったのかかな、記録してくと安心します。
奄美2泊3日の旅は、全部ひっくるめて2人で86000円ちょっとでした。
はじめてバニラエアーを使いましたが、やはり成田発というのがネックかも。そこまで時間と交通費がけっこうかかるし、往復2日かかってしまうので。時間も大事。ということで、次回は、1月など、雨が少なそうな、シーズンオフに羽田発JALなど向こうについてから時間的余裕がある選択肢も考えてみようと思いました。
奄美は思ったより広くて、今回は、中心と北を少し見ただけ。道路は簡単でわかりやすいので、やはりレンタカーが便利だと思います。観光!リゾート!というほど、がつがつしていなくて、のんびりまったりしたところがいいところ。離島の加計呂(かけろ)島、喜界島にも惹かれます。またぜひ行きたい、そして次回は晴れていますように!
(奄美の旅終わり)
#まいにちしあわせになる方法 21 楽しかった旅行を思い出してさらに楽しむ!